診断の神様

僕が多田さんと出会ったのは20年前。どこの調査だったかは忘れたけど、多田さんはアシスタントの女性を連れてきた。その時の調査は主に腐朽のある樹木の内部空洞の規模を測定するものだった。
内部空洞を測定する専用の機器はレジストグラフというドイツ製の機器で、まだ国内でも所有している人は珍しかった。その先駆けが多田さんで、多田さんと言えばレジストグラフという時代。
ところで、当時のレジストグラフはM型というシリーズしかなく、今のPDシリーズとは違い(データ転送型)、貫入抵抗を記録するのに専用の用紙をセットするタイプだった。しかも、その用紙は専用の感熱紙なので、1枚で200円もする。そして1断面に1枚が必要だった。4断面やるとそれだけで800円もする!
調査が進むにつれ、みんな疲れてきていたし、しかも前日の雨で足下が滑るしで、そんな時、その事件は起きた。その記録用紙を持ち歩いていたアシスタントの女性が、50枚ぐらい入った用紙の束を、水たまりにボチャっと落としてしまったのだ!
それは一瞬の出来事だった。
呆然とその用紙を見つめ、立ち尽くす僕と、今にも泣きそうな顔で「ごめんなさい!ごめんなさい!」を繰り返し、必死にその束を拾い上げる女性。辺りには不穏な空気が立ちこめていた。
僕は多田さんが今にも怒声を上げ、その用紙がいかに大切な(高い)ものか、そもそも調査道具を落とすとは何事か!とか、そういう厳しい叱責をするものとばかり思っていたし、かつ、その恐怖で足が若干すくんでもいた。
しかし、しかしだ。多田さんはゆっくりとその用紙を女性から受け取ると、タオルでそっと拭きながら、「この用紙は乾かせば何度でも使えるんです。ですから、なんにも心配はいりません。」と、にっこりと微笑んだのだ。
その時、僕は思った。「なんて、神様みたいな人なんだと。。。。」
そんな多田さんのこれまでの診断実績はざっと3万5千本。カルテを伴わない簡易診断なら、おそらく10万本を超えているだろう。
その診断スキルを余すことなく紹介したのが「樹木診断の実際 -目のつけどころと観察のカギ-」なのである。多田さんの樹木を見つめるまなざしや語り口は、きっと誰よりも優しい。
ちなみに、この話には後日譚があって、そのアシスタントの女性はこの事件から数年後、樹木医に合格したのだ。